人生とは恋愛である。

~色道ひろゆき公式ブログ~

恋愛における常識とは

 

恋愛における常識を考えてみたい。

 

いきなりだが、関係が成立している時点で

私はどんな状態でも肯定できる立場だ。

 

どういうことかというと、それが仮に

世の中一般的に、つまり常識的に

NOといわれる関係でも

当人同士が納得しているなら、どんな関係においても

私は肯定できるということだ。

 

昔であれば身分の違いの恋愛かも知れない。

例えば公家と農家ではまず有り得ない。

不倫どころではない社会通念悪のように取り扱われるだろう。

 

同性愛もそうかもしれない。

同様に不倫も当然そうだし、

複数と付き合うことも常識的にはタブーだ。

 

そもそも、常識とは多数派意見というか

誰かが決めたものだ。

本質的に正しいかどうかが問われているわけではない。

そもそも正しいとか正解なんてないと思っている。

何一つだ。

それをどう思うかが十人十色で、そこに常識が形成されるだけで

時代が変われば、場所が変われば

常識も変わるんだ。

私たちはこの大前提を常に頭に置いておくべきだと思っている。

 

私はいつの時代も可能な限り、

多くの人から愛されるべきだと思っている。

それはどのような距離かは置いておいて。

人はそれを良しと思わないかも知れない。

けど、自分の選択を信じることが出来るならば

私はそのまま突き進めばいいと考えている。

例え身分が違えでも

例え国が違えども

例え同姓同士でも

例え不倫でも

様々な条件下の中で自分の選択を信じることが出来れば。

 

 

最後に言っておくが

私は非常識な人間であるw

でも、多くの人に愛されている自負もあるのは事実だ。